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2015年にカワサキ・レーシング・チームに加入したジョナサン・レイは、Ninja ZX-10Rのパフォーマンスをフルに引き出し、チーム加入初年度でチャンピオンを獲得した。2017年からはさらに戦闘能力を高めたNinja ZX-10RRにスイッチし、カワサキとレイは他を寄せ付けない強さを発揮。2015年から6年連続ライダー&マニュファクチャラーズタイトル獲得という選手権記録を更新中である。その他にも、最多勝利数、最多年間ポイント、最多連続表彰台と、数々の選手権記録を更新している。
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1位が目まぐるしく変わりつつ、トップ3チームが全て216周を走行するという、類い稀なる接近戦だった2019年の鈴鹿8時間耐久ロードレース。この伝統あるレースに、カワサキはファクトリーチームのカワサキ・レーシング・チームで参戦し、1993年以来、実に26年ぶりの優勝を収めた。また、12位にランクインしたTeam SRC Kawasaki Franceが、2018-2019シーズンの世界耐久選手権年間チャンピオンにも輝き、2019年の鈴鹿8時間耐久はカワサキ、そしてNinja ZX-10RRにとって特別なレースとなった。
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2017年に設立されたスーパースポーツ300世界選手権。カワサキは2018年よりNinja 400を投入し、アナ・カラスコが2勝をあげてタイトルを獲得。カラスコはFIM選手権史上初の女性レース勝者、女性年間チャンピオンとなった。続く2019年は、マヌエル・ゴンサレスがFIMロードレース選手権の史上最年少チャンピオンに輝き、カワサキが2年連続で選手権を制覇した。
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2012年にNinja ZX-6Rでスーパースポーツ世界選手権を制したケナン・ソフォーグルは、2015年に5勝をあげ、3年ぶりにチャンピオンへ返り咲く。翌2016年にも6勝をあげて選手権を連覇し、Ninja ZX-6Rのパフォーマンスの高さを証明した。
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前年にわずか0.5ポイント差でチャンピオンを逃したトム・サイクスとNinja ZX-10R。その雪辱を期して挑んだ2013年シーズン、サイクスとNinja ZX-10Rは9勝を含む18回の表彰台に立ち、チャンピオンを奪取。カワサキに20年ぶりのスーパーバイク世界選手権タイトルをもたらした。
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2002年、カワサキは20年ぶりにロードレース世界選手権へ復帰。MotoGPクラスに参戦したNinja ZX-RRは、年を追うごとにその性能を高め、2004年日本GPでは中野真矢のライディングにより3位入賞。その後もマシン開発は進み、2005年中国GP、2006年オランダGP、2007年日本GPでは2位表彰台を獲得。Ninja ZX-RRは戦いの中で着実に進化を遂げた。
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1995年にデビューしたNinja ZX-6Rは、AMAスーパースポーツ選手権などで活躍し、1999年からFIM公認となったスーパースポーツ世界選手権へファクトリー参戦を開始。そして、2001年にはアンドリュー・ピットが、上位を堅実にキープする走りでカワサキ、そして自身の選手権初制覇を達成した。
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1996年にデビューしたNinja ZX-7RRは1996年、1997年とAMAスーパーバイク選手権を連覇。そして全日本ロードレース選手権では、カワサキ・レーシング・チームの井筒仁康が2000年に5勝をあげ、チャンピオンを獲得。同年のスーパーバイク世界選手権日本大会でも優勝するなど、Ninja ZX-7RRの高いパフォーマンスを証明した。
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1992年に名チューナー、ロブ・マジーが手掛けたZXR750RでAMAスーパーバイク選手権チャンピオンを獲得したスコット・ラッセルは、翌1993年からマジーと共にスーパーバイク世界選手権にフル参戦を開始。戦闘力をさらに高めたZXR750Rに跨ったラッセルは参戦初年度でチャンピオンを獲得し、カワサキにスーパーバイク世界選手権初タイトルをもたらした。
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1992年の全日本ロードレース選手権TT-F1クラスは、カワサキ・ファクトリー・チームの塚本昭一が、チームメイトの北川圭一とのタイトル争いを制しチャンピオンを獲得。翌1993年は、北川圭一がチャンピオンを獲得し、ZXR-7が2年連続チャンピオンマシンに輝いた。
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1983年をもってファクトリー活動を中止していたカワサキだが、1988年に活動を再開。新型TT-F1レーサーのZXR-7は、1991年から1993年の3年間、他を寄せ付けない圧倒的な強さで世界耐久選手権を3連覇。また、1993年の鈴鹿8時間耐久はスコット・ラッセル/アーロン・スライト組が制し、カワサキに8耐初優勝をもたらした。
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1981年から1983年の世界耐久選手権は、カワサキの耐久レーサー、KR1000の独壇場であった。
フランスの耐久チーム「パフォーマンス」とタッグを組み、3年連続でメーカータイトルを獲得。1981年と1982年はライダーランキングも上位を独占し、1983年には伝統あるル・マン24時間で1-2-3フィニッシュを決めるという活躍をみせた。 -
名チューナー、ロブ・マジーの徹底的なチューニングと、エディ・ローソンの堅実な走りで、KZ1000J / KZ1000S1は1981年、1982年とAMAスーパーバイク選手権を連覇。翌1983年は、レギュレーション変更を受けて新たにGPz750を投入。ウェイン・レイニーが選手権を制し、カワサキは3連覇を達成した。
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ロードレースの最高峰、ロードレース世界選手権(WGP)を戦うため、1974年に誕生したKR250 / KR350。マシンは年を追うごとに進化し、アントン・マンクやコーク・バリントンらのライディングにより、1978年から1982年までの5年間は、GP250/GP350のレースをほぼ手中に収める。両クラスあわせて8回のライダータイトル獲得、そしてGP250では4年連続マニュファクチャラーズタイトル獲得と、圧倒的な強さを誇った。
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2ストローク3気筒748cm3の市販レーサーとして1971年に発売されたH2Rは、世界各国のレースで活躍し、畏敬の念をもって「グリーン・モンスター」と称された。そして1973年のアメリカのAMAロードレース選手権では、H2Rを駆るゲイリー・ニクソンが3勝を挙げ、年間チャンピオンを獲得した。
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ライムグリーンの塗料は1968年から開発が行われ、翌1969年のアメリカ・デイトナ200マイルでは、ファクトリーマシンのA7RSとA1RAS全車がライムグリーンを身に纏い参戦。それまでのカワサキレーサーは「赤」に塗られることが多く、またライムグリーンは欧米で「不吉な色」の象徴であり、これらのマシンは驚きをもって迎えられた。しかし、その後のライムグリーンレーサーの活躍により、カワサキのレースイメージカラーとして定着していくことになる。
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2020年シーズンのAMAスーパークロス選手権は、3月上旬の第10戦終了時点で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響により選手権が中断。残り7戦が5月末から6月にかけて連続開催されるという、変則的なスケジュールとなった。モンスター・エナジー・カワサキのイーライ・トマックは集中力を切らさず後半戦を走り切り、カワサキにとって6年ぶり、自身では初となるスーパークロスチャンピオンを獲得した。
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2017年、2018年とAMAモトクロス選手権の450MXクラスを連覇したKX450Fとイーライ・トマック。翌2019年は、フルモデルチェンジしたKX450を投入し、圧倒的な速さと安定性を披露。12戦24レース中で11勝を含む19回の表彰台に登壇し、選手権を連覇した。
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スーパークロス・ライツやモトクロス・ライツでKX250Fを駆り、チャンピオンを獲得していたライアン・ビロポートは、2009年から450クラスにステップアップ。KX450Fとビロポートは2011年からスーパークロスを4連覇し、また2011年と2013年にはAMAモトクロス選手権も制するなど、その強さを改めて印象付けた。
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スーパークロスでKX450F/ジェームス・スチュワート、スーパークロス・ライツ・ウエストでKX250F/ライアン・ビロポート、スーパークロス・ライツ・イーストでKX250F/ベン・タウンリーがそれぞれチャンピオンを獲得し、カワサキのKXシリーズが選手権を完全制覇するという快挙を成し遂げた。
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KX250とステファン・エバーツは、モトクロス世界選手権250クラスで5勝をあげ選手権を制覇。カワサキにモトクロス世界選手権初タイトルをもたらし、エバーツ自身も250クラス初チャンピオンを獲得した。また、翌1996年の125クラスはKX125とセバスチャン・トーテリが制し、1998年の250クラスもKX250にスイッチしたトーテリがタイトルを獲得した。
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国際A級250クラスはKX250/エディ・ウォーレン、国際A級125クラスはKX125/請川意次、国際B級250クラスは田澤豊晃、国際B級125クラスは佐々木祐介がそれぞれチャンピオンを獲得し、全日本モトクロス選手権を完全制覇。また、1995年から1997年はKX250を駆るジェフ・マタセビッチが国際A級250クラスで3年連続チャンピオンに輝く。さらに1997年は、国際A級250クラスで榎本正則が総合2位となり、カワサキは年間ランキング1-2を独占した。
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2ストローク500ccモトクロッサーというモンスターマシンで競われていたAMAモトクロス選手権500クラスを、KX500とジェフ・ワードが1989年、1990年と連覇。ジェフ・ワードはKX125でAMAモトクロス選手権125クラス、KX250でAMAモトクロス選手権250クラスとAMAスーパークロス選手権のタイトルも獲得しており、500クラスを含む唯一のAMA四冠王となった。
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1972年、カワサキ内部に本格的なモトクロッサー開発部門が誕生。新世代モトクロッサー、KX250 / KX125のプロトタイプをレースに投入し開発を進め、1973年に市販モデルを発売した。以降、KXシリーズは今日まで休むことなく開発され、進化を続けている。
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1961年、全日本モトクロス大会にカワサキのB7をベースとしたレースマシンが登場。翌1962年にカワサキはレースへの本格参戦を決め、1963年の第1回MFJ兵庫県モトクロス大会では、カワサキのB8が1位から6位までを独占するという快挙を成し遂げた。